・カナダCSEM探査


バンクーバ島沖でのCSEM探査(R/V Tully: Aug. 1997)

私にとって2度目の海底電磁気調査の航海でした。カナダのトロント大が、バンクーバ沖で確認されていたメタンハイドレートの分布を調査するために、人工電流を用いた電磁探査(Controlled-Source Electromagnetic Sounding:CSEM探査)を実施するということで、日本からは海底観測装置の位置を知るために必要な音響トランスポンダーを抱えて参加しました。


準備の様子

航海開始の1週間ほど前に、バンクーバ島入りをして、調査の準備を手伝いました。向かったのはバンクーバ島のシドニーという町(オーストラリアではない)にある、カナダ地質調査所の太平洋地球物理学センター(PGC:Pacific Geophysical Center)。ここはカナダの海底観測の拠点の一つで、様々な研究者がおられました。展示物もいっぱいあって、写真右は熱水チムニー(そののちに、この熱水チムニーと深く関わることになるとは、1997年当時はイチビットも思わなかった)。このPGCの一角で、トロント大のNigel Edwards先生の指導のもと、装置の組立などを行いました。


日本調査隊(といっても3人しかいなかったが)の隊長は、藤浩明先生(当時、東京大学海洋研究所:写真下)。私の海底観測の師匠です。

Nigel先生のもと、PGCの倉庫で毎日あーでもない、こーでもないと、悩みながら装置を組み立てましたっけ。あれ?カナダの装置じゃあなかったっけ(笑)

写真の装置は海底電位差計(OBE)。仮組みが終わった状態です。これからこの装置をPGCの岸壁から海水につけるところです。
この装置は自己浮上式。海底までは自重で沈んでいきますが、タイマーが付いていて時間になると錘を切り離して浮く仕組みです。今回はさらに音響トランスポンダーなどを付けるので浮くかどうか、チェックしています。黄色いのは浮き(ガラス球)。今回特別に追加したものです(実はフレームの一部は木です!)

いざ沖合へ!

準備も終わり、いざ出港です。調査船John P. Tully。元々はCoast Guardの船だったようですが、海洋調査船に改造されています。そのせいか、ラボ(船内の研究室)が狭い… デッキに出るのも出づらい。でも食堂はとてもデカイ。ラボよりもデカイのではなかろうか…

ちなみにフランス式の食事でした。メインが2種類、デザートが4種類から選べるというすばらしさ!
写真右は、組み立てが終わり、バンクーバ島沖の海底へまさに投入されんとするOBE。結局、装置自体は日本人2人で組み立てましたっけ。カナダ人は計測ソフトの組み直しのため、PC(というかMac)とにらめっこしてました。途中、ソフト修正に時間がかかったため、Tully号自体やることがなくなって漂流してましたっけ。(油代節約です)
上記のOBEには白いパイプがつきました。これのパイプの両端の電位差を測定します。これを2台投入しました(写真をよくみると左に腕だけ写ってる)。
一方、船からは海底付近で矩形電流を流します。この時の過渡応答をOBEで計測し、地球の電気的特性を測定します。時間領域で測定・解析するので厳密にはCSEMではなく、海底曳航式TDEM探査です(左図が概念図)。
現在、これを改良した探査法がカナダやドイツで実施されていて、ニュージーランド沖のメタンハイドレート調査などに活躍しています。

無事に調査終了~

船の上ではそりゃあ、いろいろありました。
OBEを浮上させるのがタイマー切り離し方式はいいとして、2台を同時刻に浮上させるもんだから、当然1台見失ってしまうし。海面に浮いてるはずの装置を一晩探しましたっけ。
でも結局無事に見つかって、めでたし、めでたし。楽しい航海でした。Nigel先生を始め、賑やかなカナダ人の面々(ソフトと格闘する人、後ろに立たれると怒る人、トランプ好きなお嬢様、ロシア美人、ミスタービッグバー笑などなど)。乗ってる最中は「いいかんげんにしてくれ」と何度も思いましたけど。

写真右は、PGCの岸壁。夏のカナダらしい、穏やかな光景です。近くにはアザラシもいたよ。
こちらはバンクーバ島の街並み。至る所に花が咲いてあったり、飾ってあったりしました(その分、冬の寒さを想像…)。あと、夏とはいえ結構肌寒い。だけどカナダ人は半袖で平気でウロウロ。皮下脂肪が厚いのだろうか?
おなじくシドニーの港。本当にのどかで安全で、夜10時くらいに歩いていても、ぜんぜん怖さがなかったです。
「北米に来たけどアメリカは怖いし慌ただしい、オレはのんびり生きよう、そういう人が集まってカナダという国ができました」 そう言われたら信じます。

そんなこんなの、カナダ珍道中2週間あまりの旅。
この時の人工電流を用いた探査の経験や、カナダ製の装置を(なぜか日本人が)イチから
組み立てた経験が、のちの海底観測装置開発に大いに役立つのでした。

楽しかったなぁ、、、(今思うと)